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さくらの文学
桜に彼岸を見た人たち
〜坂口安吾「桜の森の満開の下」〜
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坂口安吾「桜の森の満開の下」
作文中
女が持つ「美にひそむ狂気と残虐性」をさくらになぞらえて描き出しています。
あらすじで・・
「鈴鹿峠の桜街道の近くに一人の山賊が住んでいた。
男は人の命を断つのは何でもないが、
桜の木の下に来るとなぜか気が変になって恐ろしいので、
一度桜の下に座ってじっくりその訳を考えてみようと思ってはいるが
一年のばしにしている。
山賊はやがて街道で夫を殺しさらってきた美しい都の女と暮らすようになるが、
その女が都に帰りたいとせがむので二人は都に出ることになった。
男は人をあやめては金品を盗み、女はその首を部屋中に並べて、舐めたり錐で突いたり、
放り投げたりの「首遊び」をして毎日を過ごすのだったが
やがてそんな都にも飽き、男は女を背中におぶって山に帰ることにする。
その道すがらに満開の桜の木の下を通りかかった時のこと、
背中の女は突如鬼の姿に変化、男を襲うのだった。
(こういうシチュエーションは怖いですね。)
男は鬼を背中から振り落として絞め殺すのだが、
その刹那、鬼は女の姿に戻り桜の花びらの中へと消えていくのだった。」
女は本当は存在などしておらず、
桜の狂気を吸い込んでしまった男が見た幻影だったのかもしれない。
桜も鬼も、「女の美しさ・残酷性・欲望・狂気」が姿を変えて男の目に映ったものなのだ。
梶井基次郎もまた、桜の美しさの向こうに「この世ならぬもの」を見ているのです。
映画作品「桜の森の満開の下」(1975)
監督:篠田正浩 若山富三郎(山賊)岩下志麻(女)
こういう女は岩下志麻でなっとくですね。
黒沢明「羅生門」の京マチ子の美と狂気ならさらに適役だったことでしょう。
そういえば時代背景、すじもどこかで重なりそうです。
070512
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